40歳のアザラシは カウンセラーになれるか

40歳でカウンセラーを目指し何もできず現在に至る

何事かをなさなければ

いけないと思ってるけど

 

人の価値はそんなんじゃないってわかってる

 

わかってるけど認められたいと思うのは

 

浅ましいだろうか

 

一目置かれたい

必要とされたい 

声をかけられたいと思うのは…

 

まず目の前の人を幸せな気持ちにすること

今日1日を幸せに過ごすこと

 

すべてはそこから

 

わかってるんだ

 

 

何かを成したいのなら

やるべきことがあるはず

それを怠っていることも事実で

 

自分が満足できる

誇れる自分でありたい

その根拠が欲しい

努力しかない

 

努力と愛かな。

うーん、愛想が悪い

我ながら。

 

自分の機嫌は自分でとらなければならぬ

 

と、みやぞんさんも仰っている。

 

が、

 

なんで愛想が悪いのか考える。

 

 

 

軽んじられている、と思えば

 

 

冷めるのかな。

 

 

 

ほかに誰かがいるなら

 

その人の方を優遇するなら

 

 

私がいなくても別に…

 

 

 

それほど、今まで

 

大事にされてきた

尊重してもらっていた

 

という事なんだろうと思う。

 

 

私は自尊心を回復させることを

自分でやらないといけない。

 

 

だいたいそもそも人にどう思われようと

どうでもよかった

 

どうせ好かれていたから。

 

 

執着なんてなかった。

 

 

 

だから私の人間力はこれからだ

 

 

嫉妬なのかな

 

なんかまた距離感を間違えたかもしれない

整理したくて書きます

 

友達の目標がどうにか形になって

みんな盛り上がって

 

おめでたい。

 

友達は根回しに余念がないタイプで

完璧な布陣を敷いた。

 

実績のある人

発信力のある人

呼べばすぐ来る人

 

私はどれもなく

ただ時々横にいただけだった

 

見透かされていたのか

 

友達も自分の目標を

必死で登っていたから

細かいことは頭にないのかもしれない

 

私は

役に立たないと思った。

だからいても仕方ないと思った。

 

事実そうだったと思う

だから距離を置いた。

 

私が怒ってると誤解している。

 

人づてに聞いた。戸惑っているよと

 

すぐにでも誤解は解きたいが

誤解されるくらいの間柄なのだということ

 

取り繕ってまで保ちたい関係ではない

今の私にそんな元気はない

 

 

それから数日が経つ

なんか哀しくなってきた。

 

何が哀しいのか…

 

役に立てなかったこと?

軽くみられたこと?

 

何か協力できたとしても

手駒にされるだけだろう

 

友達の人の使い方は

客観的に見ればそう

私にはそう見える

 

とにかく、人と人にはそれぞれ

適切な距離があって

 

私と友達は、そんな近くなくて

いいんだろうと思った。

 

だけど謎の哀しみが残る。

 

 

悔しいのかも知れない

役に立たないことが

 

そのうちあてにされるような

能力も立場も手にしたい

評価されたい

でもされていない

 

 

ナメられてる

 

と思ったのかも知れない。

 

でもそんな人にどう見られても

構わないはずなのにね。

 

自分のことで手一杯の人は

誰のことも利用する

情で応えても虚しいだけ

 

と、このところで感じたから

 

もう人に情をかけるのはやめたい

もう好かれなくていい

自分が喜ぶ自分でいるだけでいい

 

とさえ、思ってしまう。

 

自分が喜ぶ自分へ

努力することしかないのかな

 

 

死にたいと言われたらどうするの

産業カウンセラーの試験に受かって、

就職活動、したい。

 

資格取った人が行く、

ガイダンスに行ってみた。

 

 

…でも、協会としては、

産業カウンセラーを生み出して、

世に送り出すというより、

 

「需要がないから、それぞれの職場で

広めて!よろしく」

 

みたいな、スタンス。

 

 

協会にも、求人、たまに来るけど、

人事課、事務とかって感じだそうで。

 

私はカウンセラーになりたくて、

門を叩いたんです!と詰め寄ると、

 

「カウンセラーの専職ってね、

 

死にたいとか言われるんだよね」

 

あなた、対応できるの??みたいに言われ

 

 

そりゃそうでしょ、言われたことはないけど

 

じゃ、私は何を教わったの?

深刻な人を助けられなくて。

 

そりゃ、広まらないよね…。

 

 

 

 

資格取得1日目にして心折れる

職場で、

「悩みあったら言ってください♪」

 

と、言ったら即、話し始めた人。

 

「どうしたらいい?」と

聞くので、

 

それを言っちゃうとアドバイザーになるので

わたしは聴くだけなんですよ、と言うと

 

それじゃしょうがない、

見透かされるよ!(何を)

 

 

と。

 

 

理解がないし、

私も説明しきれない。

 

悩んでいるのは何故なのか、

自分に問うてみる、機会なのだと。

 

相手や何かのせいにしていたら、

ばしっと解決できる方法など、

 

ないのだと。

今は良くても、また同じような事で、悩む

 

自分の見方が、変わならければ。

 

 

早速、存在意義を、否定される。

 

旧知の仲では、カウンセリングは難しい

 

知ってはいるけど。

 

合格しました!

信じられないけど受かりました。

粘ってみてよかったです。

 

思った以上に、時間が取れなくて、

直前の有給と土曜日が、実質身のある勉強でした、

学生時代のような、やることしかやらない

ひたすら感を体験しました。

あれはあれで楽しかった、いやつらいけど。

 

私の未来は、これでー?

 

これで、変わるのか、

この過程で、既に変わってるのか、

 

それはそれとして、変わらないのか

 

これは、やってみないと

わからないことだったから。

 

でも、相談業務を、

やっぱりやりたい。

 

私を受け入れてくれる場所は

あるんだろうか??

いじめなくならない

いじめって、なくならないんだなあ、

いろんな名前がついてる、パワハラ、とかー…

そーゆーのも。

 

今日…とゆーか

いよいよ確信した、いや

薄々はわかってたけどー、

 

いろんなニュース見て。

 

いじめる人っていうのは、

人の気持ちがわからないくらいの人だから

わがままだから、

 

保身がすごい。

 

それを毅然と問いただすことができない、

人としてよりも、役割として生きている

背景と変わらぬ 大人。

 

「いじめられても、救われない」

という事を、前提に、捉えなければ

 

いけないの??

これからは…。

 

「この世は 弱いものには冷たいね」

 

と、桑田佳祐も歌っている。

 

本当にそうだな。